「u me」 you,me / 海
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すごく好きな人が
一年と少し前は違う人と一緒にいたことを知って
なんかちょっと だいぶ 気持ち悪くなった
私もそうだったけど、
高3のときに付き合っていた人をもう好きには一生ならない
知人の息子1歳はイチゴ大好き。一皿出されると狂喜乱舞して食べ始めるのだが、食べていくうちに「イチゴを食べる喜び<イチゴが減っていく悲しみ」になるらしく、残り一個になったとき悲しみのあまりその一個をぶん投げてしまったそうだ。人間の幸福とはなにか考えさせられる話である。
Q u o t a t i o n k e i i c h i i s o z a k i
文 学 お よ び 詩 集 か ら の 引 用 と 再 生 / 2003 6 9
飛行機の音ではなかった。耳の後ろ側を飛んでいた虫の羽音だった。蝿よりも小さな虫は、目の前をしばらく旋回して暗い部屋の隅へと見えなくなった。
アインシュタインよ、どうして十六歳の美少女と恋愛しなかったのだ。彼女の陰毛の下に、核分裂と融合の化学方程式を薔薇の形で刺青にしておけば、二十世紀は灰にならずにすんだのに。過去という本には時代ごとに新たな索引が附され、索引は過去の解放を指示する。かつての諸世代とぼくらの世代との間にはひそかな約束があり、
ぼくらはかれらの期待をになって、この地上に 出 て き た の だ 。
TVは神話製造機。ジンギスカンが文学をつくって勝負したように、TVは神話をつくる。なぜ ア メ リ カ
でTVが発達したか。それは、アメリカという広大な土地に、い ろ い ろ な 民 族 が 住 ん で い て 、 「アメリカという意識」がなかったから。キリスト教と並んで、TVは人々の中に「共通の神話」をつくり出す。だから、大統領はすぐTVで演説する。草原や砂漠には、舗装された道はない。道をつくるな、TVを見るなということを、もしジンギスカンが生きていたら言っただろう。物と情報が増えるということは、神話が増えるということだ。道 が 出 来 、 観 光 客 が 来 て 、 貨 幣 経 済 に な っ て 、すべてを終わらせてしまうだろう。
ア ウ シ ュ ヴ ィ ッ ツ 以 後 、 詩 を 書 く こ と は 野 蛮 で あ る 。
おお、イエス、繰り返していうが、もしお前が、お前に食われる魚の罪と苦悩の心の暗い内部の深い底もない悲哀に思い及んで、最後の晩餐 とやらにのぞんだとき、「まことに汝らに告ぐ、汝らの中の一人、われを売らん」などとやら、尤もらしくいわずに、 いいかな、おお、イエス、イエスよ、自覚してくれ。過誤の人類史を 正 し て く れ 。
まことにまことに、汝らに告ぐ、ここにいる十二人の使徒のすべてはまたわれと同じく、すべての生物殺しの罪と苦悩を重く負って、「みな」その手足を堅く打ちつけられて十字架に必ずかかるべし、といったのなら、おお、お前の名を冠したところの人類の全歴史はこれまでとまったく驚くほどに違ってしまった筈なのだ。
一日に一冊のペースで、読んでいた小説だが、大量の音楽が出てくるのに気付いて、良いと思った小説に登場している音楽を、聞き始めた。それが音楽との出会いで、二年後に失望した。
誰かに才能があるって? だから何だっていうんだ。そういうやつは、掃いて捨てるほどいる。人があり余っているんだ。実際に、食料の方が人間より多いし、芸術だって多すぎる。もう食料を燃やすところまできている。芸 術 を 燃 や し 始 め る の は い つ だ ろ う。
十九世紀は「人間」の最後の世紀、六四年ロートレックが南仏のシャトーで生れ、その三年後に蒸気と電気とガスを呪いつづけたボードレールが死ぬ。
肉だけで構成されている砂嵐のアトリエで、男の油彩も三百点の石版も、
知 性 と は ? 世 界 と 人 生 を 見 抜 く 力 。
十九世紀最後の十年間に稲妻のごとく仕上げられたもの。 十九世紀以外に「世紀末」はない。
この本の中に私が書き記しているいくつかの考えが真実であるとすれば、それは私によるものではなく、むしろ絶えず音楽とともに仕事をしてきたなかから生じた認識 で あ り 、
すべての人のものです。人類が進化して広大な認識と倫理的責任感をもつに到ることの意義を深く信じたいという「暦年」の音楽的メッセージが、私の「音楽論集」をも通じて、長年の誤解から解放され理解されて欲しいと思っています。
さまざまな事件を、大事件と小事件との区別なく、ものがたる年代記作者が、期せずして考慮にいれている真 理 が あ る。
かつて起こったことは何ひとつ、歴史から見て無意味なものとみなされてはならない、と い う真 理 だ。
た し か に 、人 類 は 解 放 さ れ て は じ め て、
その過去を完全なかたちで手に握ることができる。いいかえれば、人類は解放されてはじめて、その過去のあらゆる時点を引用できるようになる。人類が生きた瞬間のすべてが、その日には、引きだして用いうるものとなるのだ その日こそ、まさに最終審判の日である。
いつか君にも黒い鳥が見えるさ、 まだ見ていないんだろう、 君は、 黒い鳥を見れるよ、 そういう目をしている、 俺と同じさ、
ある日、その先生が作曲家にこう聞いたのね。「君はソ ナタっていうのがわかるかね?」作曲家が答えに窮して困っていたら先生は、「それは、古いヨーロッパの民家のドアノブだったり、階段の手すりの曲線だったり、その形にこそ精神が宿っている」と言って、極東から来た君みたいな日本人に、それがわかるわけがない、わからなければ、ソナタなんか書けるわけがないと 言 っ た ん だ っ て 。曲をつくる方が演奏するよりいいし、演奏する方が聴くよりはいい、また、聴く方が、気晴らしや娯楽、あるいは文化的素養として濫用するよりはいい。
ヴェーベルン が、
新 たな音楽形式において音のあらゆる次元を平 等に機能づけたように、音楽形式から主要な要素と二次元的な要素という区別が消えた。全てが主要な要素になる。いかなる部分形式も他のものの上に立ってはならない。全 て の 音 程 は 等 し い 扱 い を 受 け 、これまで慣れ親しんできた楽器音の音響スペクトルにおける自然音程を尊重する必要はもはやない。
なぜバッハが好きか、叔父さんに説明したことがある。 そ れ は ね 、
バ ッ ハの曲では右手と左手が「対等 の 役割」を持っているから。
闘わなければ、勝ちもなければ負けもない。負ける闘いはしてはいけない。
「エイズの末期で大切なのは、薬よりも生きる 希望だってよく言うでしょう?」妄 想か。「そう、それは妄想以外にはあり得ないのよ、わたしが保証する。そういう妄想に、もっともノーマルに形式を与えると 何 に な る と 思 う ?」音 楽か?「当 た り」
世 界は内戦と動乱の蟻の塔になり、死者だけが飢えと血を栄養にして、蟻の群れだけが、聖なる秩序のなかで走りつづけている。
人間は、死ぬと腐る。腐るということ自体、そこに微生物が働いている。土壌にかえり、また栄養
となること。輪廻は空想なんかじゃない。事実としてそこにある。土葬を認めない国なんて、なんて野蛮なんだろう。生 命 の 本 質 が 何 に も わ か っ ち ゃ い な い ん だ 。
大 地 を 去 っ て ゆ く 音 楽 の ま な ざ し に は 、
そうするうち宇宙空間からとっくに撮影されていたように、大地は見渡しうる球へと円くなり、創世の中心ではなく、ちっぽけなものでかつ儚いものなのである。このような経験にはその上、人間よりも幸福な者たちが住んでいると考えられる他の天体によせる憂鬱な希望が加わる。 しかしみずから遠ざかった大地は、かつて星々が約束していた希望を欠いている。大地は空虚な銀河系の中で没落する。末期の眼は、果てしない空間の雪片のもとで凍死するまで過 去の希望に溢れているのだが、その希望の反照としての美しさが大地の上に横たわっている。このような美しさに対する恍惚の瞬間には、
非魔力化された自然に頼って堕落してしまった存在に固執していればよいと思われる。形而上学は可能でないということが最後の形而上学となるのである。
ぼくらの羨望をよびさましうる幸福は、ぼくらと語りあう可能性があった人間や、ぼくらに身をゆだねる可能性があった女とともに、ぼくらが呼吸した空気のなかにしかない。
シュトックハウゼンという人は、事実上の戦争孤児から出発した割には音楽以外の場所にいたこともましてや働いたこともない一〇〇%の音楽家で、
お前がお前であるのは、すべてお前が食べ飲むことによるお前の口かによる取り込みの自己自身化以外にないのだ。
パンと葡萄酒はお前の肉と血ではなく、お前の全体そのものが、逆に、もともと、パンと水そのものにほかならぬのだ。つまり、パ ン こ そ お 前 で あ り 、葡萄酒こそお前であるとまさに逆にいわねばなら ぬのだ。
人間同士がこのように殺しあっても、依然として鳥は美し く鳴くし、空も美しい。同じように音楽 も あ る べ き で は な い か ?テキサスから来た女性が言った。テキサスには音楽がないわ。テキサスに音楽がないのは、テキサスにレコードがあるからだ。テキサスからレコードをなくそう、そうすれば誰かが歌を習うだろう。あ る 種 の 混 血 性 が 生 命 力 、 あ る い は 美 し さ の ル ー ツ で あ る 。この写真を憶えているかい?「ナイアガラ」で最初に会った時、撮ったやつだよ。あの時俺達はアブサンを何杯飲めるか競争しただろう?俺が3杯目の途中で店にいたオランダ人のヒッピーのライカを借りて写したんだ。リリーはこの写真の後、9杯目で倒れてしまったから憶えていないかも知れないなあ。
知性に劣り姿うつくしくなく、さらに不幸な生まれで財宝に見放されようと、音楽の術を知るなら人びとの集いのなかで飾りのようにうるわしい。どこであれ新しい頭と髪のあるところ、踊りと音楽の響きのあるところ 苦しみ は な い 、ゆ え に 音 楽 は 讃 え ら れ よ 。ある人にはある人はうつくしくなく、他の人にはそうでない人もうつくしい。学者にも愚かものにも男にも女にも、みんなにうつくしいもの、それは音楽。三宝に供養するとき、人 び と が 集 ま り 出 会 う と き 、円満な境地の現れるときも、技を知る人こそ 音 楽 をつくれ。
俺 は 架空 の オペラ と なった。 俺はすべての存在が、幸福の宿命を持っているのを見た。
誰が何と言っても生き て
いく希望っていうのは、他の誰かへの働きかけと、その誰かからの反応だからね。 他の誰かからの自分への働きかけと、自分の反応じゃ希望にならないから、妄 想が起きるわけでしょう?他の誰かへの働きかけなんだからね、 音楽はそうでしょう?音 楽 の す べ て の 要 素 は 、他の誰かへの働きかけと、その誰かの反応だから、どういうことかわかる?そういう音楽は非常に限られたもので、この国にはない、今ないっていうんじゃなくてどの時代にもなかった。ということはねケンジ、 わ た し に も 信 じ ら れ な い ん だ け ど 、 この国は生きていく希望を必要としていないってことなのよ
第 一 の 悪 の 誕 生 、 一 万 年 前 と い わ れ る 農 耕 の 発 明 、
とにかく、やつらは最後まで食いに食いつづけて、イエスとやらはまことに生物の食事史に永遠に記念すべき 最 後 の 晩 餐 なるものまでやって の け、
ギリシャ神話では、アイゼナ島の住民が疫病で全滅したとき、ゼウスは蟻をその住民に変えたという。
さ よ な ら 、 遺 伝 子 と 電 子 工 学 だ け を 残 し た ま ま の 人 間 の 世 紀 末 、 1 9 9 9
人付き合いが苦手な人に対しては、「人ともっと積極的に交流しろ」というより、「人と極力と係わらないでも、ちゃんとメシを食えて生活できる方法を模索しろ」と言う方が方向性としては正しいような気がする。
好きな人と暮らしたら、
ネコがいた片付いた部屋で好きな人と
二口ガスコンロのついた部屋に住む。
そしたら歯医者に行けるようにもなるだろう
夜中にいやなこと考えて、
いつ自殺するか考えている
生きていることは苦しみだ
いま私が好きでも 私を好きじゃなかった 違うひとを好きだった過去は絶対に絶対に絶対に消せないし、
私はそれを愛することができない。
いつ死のうか毎日思案する
いつでもいい、と毎日思う
いつでもいいんだ
明日でも

